カエサル(シーザー)暗殺の場&古代ローマ劇場の発祥の地 Gaius Julius Caesar



ローマのテルミニ駅からバスで15分ほどの距離にあるこのトッレ・アルジェンティーナ広場 Largo di Torre Argentina は、共和政ローマ時代の4つの神殿の遺跡が残され、同時にローマでは最初の常設劇場の建造となった『ポンペイウス劇場』(古代ローマ劇場の発祥劇場で知られます)の一部も見ることができる古代遺跡広場として知られますが、ここをもっとも有名にしているのは、あのカエサルことシーザーが暗殺された場所だからです。

ガイウス・ユリウス・カエサル(紀元前100年~紀元前44年3月15日)を本名とする彼は、あまりにもその名を知られていることで、既に多くのことをご存知と思いますが、共和政ローマ期の政治家であり、文筆家ですが、その上、常に未来図を脳裏に描き、戦いの前には戦況を把握できていたという頭脳明晰な軍人であったこと。この辺りまでは多くの方々がご存知かと思います。

また、エジプトのナイルの戦いでは、あの絶世の美女で知られるクレオパトラ率いる軍勢に力を貸し、その戦いで敗死したプトレマイオス13世に代わって、プトレマイオス14世がクレオパトラと共に共同でファラオの地位に就いた、その舞台を創ったのがカエサルでもあります。

彼は上記のような話題に富んだ歴史的な戦いを幾度も経験し、また、負け知らずでした。それは先程も記述しましたが、戦いの前に綿密な戦略を企てたからでありました。

様々な戦史を創ったカエサルは、晩年となる紀元前44年には戦地からローマに戻りますが、自分の不在の間に、ローマ議会は収支がつかないほど腐りきっていたことで、私利私欲で議会を牛耳っていた元老院派を武力で制圧し、自らが終身独裁官に就任します。

そして、政治的な権力を1点に集中させることにより、統治能力の強化を図ったのですが、その目論見は大成功。初代のアウグストゥス、すなわち初代ローマ皇帝がカエサルにより誕生したのです。

でも、武力により政治の安定を図ったことで、倒された側の元老院派の強い反感を買うことになり、紀元前44年3月15日、ポンペイウス劇場のすぐ東側にあるこのトッレ・アルジェンティーナ広場大回廊の一画で開かれた元老院会議。その始まる直前、画面右側に立っている列柱の後ろ付近で腹心のブルータスら14名によって暗殺されてしまうのです。

独裁官ですから、カエサルは当日この広場に足を運ぶことはブルータス一派は当然のごとく周知していましたから、多勢無勢でした。カエサルの暗殺は避けようもなかったのです。

この現場で14人にメタ刺しにされたカエサルは、23か所を刺されていたそうですが、そのうちの胸に受けた2刃目だけが致命傷であったといいます。

最後、死を悟ったカエサルは、倒れたときに見苦しくならないように着衣トーガのすそを身体に巻きつけながら倒れ、声を振り絞って発した最期の言葉はシェイクスピアの戯曲「ジュリアス・シーザー」の中の台詞として有名な“ブルトゥス、お前もか(Et tu, Brute?”とされています。

余談ですが元老院へ出席する朝、カエサルの妻カルプルニアは前夜に悪夢を見たことで、元老院への出席を避けるよう伝え、カエサルも一度は見合わせることを検討したものの、随行者デキムスの忠告によってカエサルは出席を決意したそうです。

そして、暗殺された3日後の3月18日、カエサルの亡骸はフォロ・ロマーノ内で火葬されました。フォロ・ロマーノは彼が海外遠征で勝利を挙げ、何度も凱旋をした想い出の広場でした。

終身独裁官となり、これからローマ帝国再生へと意を決した矢先、カエサルはよもやの暗殺です。さぞかし無念だった思います…。

でも、幸いにも彼の夢とその意思は存続されました。彼が考え出したその政治システムは、後継者の第二代目アウグストゥス帝となるオクタウィアヌスに引き継がれていったからです。

そして、それは帝政ローマ誕生の礎ともなり、紀元前27年から始まったアウグストゥス帝の時代から1453年のコンスタンティノス11世帝までの長い間、カエサルが考え出した議会政治が活躍するのです。

メジャーではありませんが、ローマを訪れたら、ぜひ、この広場に足を運んでください。政治家としても優れた才能を持ったカエサルは、ローマ帝国を永遠の都にしたかったロマンあふれる夢を実現間近にして、この世を去ったのです。この広場を前にして、当時の彼の勇士の面影を偲んでほしいと思います。

(トラベルライター、作家 市川 昭子)

※筆者は「Gadgetwear」のコラムニストです。