写真はベルギー・アントワープ人気のポイントに数えられているノートルダム大聖堂 Onze-Lieve-Vrouw Kathedraal です。
名作「フランダースの犬」の舞台になったことでも知られる聖堂は、長い歴史の中で、様々な人々が様々な思いで関わり合って完成しましたが、創立当初から威厳ある佇まいを見せ、悠久の時を超えた今も、完成当時から変わらない白い世界を背景にして、清新な姿を見せています・・・。
建物は、10世紀に創建されたロマネスク様式の礼拝堂の跡地に1352年に建設が始められ、約170年後の1520年に長い時間を経て完成したもので、当時はネーデルラント地方(フランドル地方のオランダ・ベルギー・ルクセンブルグのオランダ語圏とフランス語・英語圏の地域を指します)最大のゴシック様式の建造物となり、その豪華さと壮大さに国内のみならず、ヨーロッパの人々までもが注目したと伝えられます。
建設当初は北と南の両サイドに鐘楼を建てる予定でいましたが、敷地と資金問題などで断念され、完成時には北鐘楼のみとなりました。それでも壮大さとその偉容さは随一。47個のカリオンを抱き、朝夕に清らかな鐘の音色を街中に響き渡らせる鐘楼も、123メートルの高さを誇るのです。
そして、鐘楼はベルギー国内にブリュッセル市庁舎とただ2つしかない正統ブラバントゴシック様式として「世界遺産」という名誉も背負い、アントワープの街を見守り続けているのです。
堂内には数えきれないほど多くの人々の思いが足跡として残されていますが、そのひとつが「フランダースの犬」の主人公ネロが愛し求めたルーベンスの最高傑作「キリスト降架」「キリスト磔刑図」「聖母被昇天」「キリスト復活」の祭壇画の4点です。
作品は後日紹介させて頂きますが、この4点は大作にも関わらず1610年からいずれも数年の歳月で完成させています。生涯に2000点余の作品を残した作家ですから、精力的な仕事ぶりは有名ですが、でも、なぜにこの4作品が短期間で完成したのか…。
それは彼がイタリアで画家として名声を手中にして帰国した1808年は、折しも隣国オランダとの間で戦争が終わった1809年の前年だったからでした。
つまり長い戦争に休戦協定が結ばれたことで、平和が戻ったフランドルでは絵画の需要が急増するという社会現象が起きたのです。
イタリア帰りのルーベンスへの人気が高かったことで、当然ながら注文が殺到し、多忙をきわめたのですが、その中でこの4点の制作を優先し、いずれも1年ほどで完成させました。それは彼の作品への熱い思いがそうさせたのですが、テーマを決め、コンセプトを絞り込めば巨匠です。あとは題材となっているキリストの世界に身を託し、その世界に生きれば、手にした絵筆が自然に動いたのです・・・。
そして、この4作品はアントワープでのルーベンスの実質上のデビュー作でしたが、ルーベンスの自国でもっとも注目された作品となり、彼にとっても記念すべき作品のひとつとなったのです。
堂内に飾られている作品群は、そういう意味でも彼にとって重要な作品であると同時に、帰国して間もなくのものであったことで、故郷に敬意を払いながら回帰した記念すべきものでもあったのです。それだけに作品からは、彼の執念にも似た情熱が感じられ、観る者を圧倒するのです。
気品に満ちた白い世界が広がる堂内には、ネロの愛したルーベンスの世界が在ります。
ネロが最期まで願ったルーベンスとの最初で最後の出会いの場がここに在り、ネロとパトラッシュが愛したルーベンスの白く清らかな世界が消えることなくここに存在しているのです・・・。
素敵です・・・。
(トラベルライター、作家 市川 昭子)